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DRAGON QUEST(株式会社ENIX)
俗にドラクエ、またはDQと称される。
ドラゴンクエストは、プレイヤー自身がゲームの主人公の立場となり、世界中の様々な謎を解き明かしながら冒険を進め、【魔王】等と呼ばれる敵の親玉を討つことを目的とするコンピュータゲームであり、ジャンルはロールプレイングゲーム(RPG)である。
テレビゲームといえばアクションゲームであった時代に、コンシューマタイトルとしては日本初のRPGとしてリリースされた。日本のコンピュータRPGの礎を築いたシリーズといわれる。特に3作目『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は発売日に長大な行列ができマスコミに取り上げられるほどの社会現象となり、ファミリーコンピュータ(ファミコン)の普及台数増加にも大きく貢献した。2006年12月現在、外伝作品を含めたシリーズ作品全体のソフトの売上は約4100万本にのぼる。
また、同じくコンピュータRPGであるファイナルファンタジーシリーズと双璧をなす日本の主要ゲームソフトとして高い人気を誇り、この2シリーズがどのテレビゲーム機で発売されるかによって次に勝ち残るハードウェアが決まる、と言われるほど、日本のゲーム市場で極めて強い影響力を持っている。特に本編のシリーズは「最も売れているハードで出す」と言われており、すべて制作発表時点で最も売り上げの多くなっているハードウェアでの発売となっている。
また、コンピュータゲームだけではなく関連アニメ・漫画・グッズ、歩数計やカードゲーム・体感ゲーム・映画・ミュージカルなどにも手をつけている。
世の中について
本シリーズは北米やヨーロッパでも発売されている。
北米では、まずファミコン版4作品が、エニックスの米国法人によりNES(日本国外版ファミコン)用に翻訳・移植された(第1作のみNOA:Nintendo of Americaからの発売)。エニックスは北米市場から一時撤退したため、SNES(日本国外版スーパーファミコン)の作品は発売されなかったが、その後復帰してゲームボーイカラーやプレイステーション向けの作品を発売。そしてエニックスとスクウェアとの合併後はスクウェア・エニックスより『VIII』が発売されている。
北米での本シリーズの知名度は日本国内に比べると低く、大人気になるまでには至らなかった。しかしながら、『VIII』は、それまでの作品に比べ、好調な 売れ行きを見せた。これを受け、2006年4月には、以前には本シリーズが発売されたことのなかったヨーロッパ(5ヵ国語に対応)でも、『VIII』が発売された。
これらの北米作品のタイトルについては、"DragonQuest"と呼ばれるテーブルトークRPGが米国に既にあり、商標上のトラブルを避けるため『VII』までは"Dragon Warrior" というタイトルになった。しかし2003年10月に、この問題は解決されスクウェア・エニックスの米国法人が"Dragon Quest" の商標登録が可能となったため、『VIII』以降の作品については日本と同じ"Dragon Quest" となった。
これらの日本国外向け作品中、特にNES版では十字架などの特定の宗教を連想させる表現が変更されているものがある。現在は、他国へのローカライズを前提に国内版開発時から、図案のデザインに配慮が行われている。開発時からの対応は、現在は本シリーズに限らず一般的に行われている。
日本国内社会現象
第1作の発売当初は、ゲームの特集を組んでいた雑誌が堀井雄二が記事を書いていた週刊少年ジャンプ(集英社)くらいしかなくそれほど注目はされなかったが、口コミなどによってゲームの評判が徐々に広がり、人気作品となっていった。『II』以降は、発売日以降数ヵ月間、品切れのために入手できないファンも現れた。
『III』の発売日には長い行列ができ、そのなかには学校の授業のある平日であるにもかかわらず小中学生もいて、400人近くが補導された。さらに、品切れで購入できなかったために、小中学生からソフトを恐喝して奪い取る【ドラクエ狩り】をする犯罪者が現れるなど、一種の社会現象となった。当時のゲームソフトは内蔵している半導体の調達数によってロットあたりの生産数が制限されたために、十分な本数が供給できなかったことからこうした事態が起こった。後に、エニックスは十分な初回出荷本数が確保できるまで発売を延期する方針を取るようになったが、ソフトの強奪事件は『VII』の発売日にも起こっている。また、前述の小中学生の補導問題を踏まえ、『IV』以降は発売日を休日としたり、『VIII』の発売に際しては深夜に未成年者が問題を起こすことを避けるために、発売を午前7時以降とする、などの措置がとられている。
この他にも、ゲームマスコミではない一般の雑誌が許諾を取らずにダンジョンマップやエンディング画面を無断で掲載したとして、エニックスがそれらの雑誌を著作権侵害で訴えた事件や、販売店での不人気なゲームソフトとの違法な抱き合わせ商法といった問題も発生した。
また、2006年12月には『ドラゴンクエストIX』をニンテンドーDSで発売すると発表したことにより、メディアが大きく取り上げ、任天堂の株価が高騰するなど、業界への影響力も非常に強いシリーズである。
ドラゴンクエスト誕生までの経緯
エニックスの千田幸信プロデューサは、1985年に『ドアドア』でファミコン参入後、パソコンで発売されていた堀井雄二のアドベンチャーゲーム作品『ポートピア連続殺人事件』をファミコンへ移植することを決め、堀井と、チュンソフトのプログラマ中村光一に同作の製作を依頼する。同作の開発中、堀井と中村の2人は、当時パソコンで流行していたRPGという分野に関心が向き始めていた。そしてファミコン版『ポートピア』発売後、堀井は千田にRPG製作を提案した。当時、ファミコンのゲームといえばアクションゲーム、シューティングゲームが主流であり、当時RPGはゲームマニアのジャンルという扱いであったため、未知のジャンルに反対の声もあったが、RPGに魅せられた堀井の意志は硬く最終的に千田はゴーサインを出し、ファミコン初のコンピュータRPGの開発が始まった。
堀井は、印象的なタイトルを作るには馴染みのない単語同士の組み合わせと、印象が残りやすい【ダ行】で始まるタイトルが良いという考えから、ファンタジーSFなどで知られた想像上の生物である【ドラゴン】と、あまり馴染みの無い【試練】などを意味する【クエスト】という2つの単語を合わせて【ドラゴンクエスト】というタイトルを作った。後に本シリーズのヒットで【クエスト】という単語は一般に知られるようになり、後続のゲームに【クエスト】を使うものが多くなった。
キャラクターデザインは、当時、週刊少年ジャンプの編集者であった鳥嶋和彦に堀井が相談を持ちかけたところ、鳥嶋は、自分の担当していた『DRAGON BALL』の作家である鳥山明について「『ポートピア連続殺人事件』に興味を持っており、ゲームの仕事をやりたがっている 」と発言。鳥嶋は、堀井の描いたラフスケッチを鳥山に見せ、鳥山にモンスターのイラストを描かせた。こうして、漫画家として知名度の高かった鳥山明が、本シリーズのモンスターやキャラクターのデザインを担当することになった。
ゲームBGMは当初、すぎやまこういちとは別のスタッフによってひと通り作曲されたものの、内部の評価が高くなかった。一方、作曲家のすぎやまはコンピュータゲーム好きでもあり、当時パソコンやファミコンのゲームに熱中していて、エニックスのパソコンソフト『森田将棋』(1985年発売)の製品アンケートはがきをエニックス宛に送付していた。この縁から、急遽、千田幸信はすぎやまにドラゴンクエストのゲームBGM作曲を依頼し、すぎやまはそれを引き受けることとなった。第1作のBGMはマスターアップ直前のわずか1週間という非常に短い期間で作曲されたが、この楽曲に対する評価は高く、後にオーケストラでも演奏され、CDも発売されることとなる。
堀井雄二、すぎやまこういち、鳥山明という三大スタッフの参加によって『ドラゴンクエスト』は完成し、1986年4月の発売に至った。最終的に150万本を売り上げたヒット作品となり、以降、ドラゴンクエストはシリーズ化され、この三大スタッフによって続編が次々と開発されていく。
開発会社の変遷
第1作はチュンソフト製作・堀井雄二監督・エニックス販売で幕を切った。しかし、ドラクエが社会現象になる中、チュンソフト社長である中村光一はドラクエ以外のオリジナル作品へ関心が移り、徐々にディレクター職から退くことになる。『V』を最後にチュンソフトはシリーズの製作から手を引き、同社はサウンドノベルやローグライクゲームのオリジナル作品やスピンオフ作品(『トルネコの大冒険』シリーズ)でブレイクすることになる。
以降、チュンソフト社員の中からドラクエ製作を希望する有志を募り、『V』でディレクターを務めた山名学がハートビートを設立。『VI』から『VII』、そしてプレイステーション版『IV』まで関わり続けた。しかし、開発ペースの長期化で徐々に経営が困難になり、ハートビートは2002年に営業停止・解散する。
新たな製作会社は複数のメーカーを集めたコンペが行われ、レベルファイブに白羽の矢が立ち、同社が『VIII』そして『IX』の開発を担当している。
2002年11月26日の記者会見によると株式会社ENIXの経営難により2003年4月1日をもって株式会社SQUAREとの合併が正式に表明された。事実上、エニックスは解散した。
(wikipedia引用)
【2008/08/28 15:29】 ドラクエ |
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